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大仏殿釈迦堂
太平洋戦争で全山悉く焼失した当山は、昭和二十四年(一九四九)、児島の常山にあった常山寺の本堂を譲り受けて、これを移築、仮の本堂に当てた。しかし、寺宝の巨大な大曼荼羅を開帳するためには、高さ十メートルの空間が必要であった。そこで本堂内陣として、昭和二十七年(一九五二)の秋に増築されたのが、内部が吹抜けの、この二重の塔であり、平成三年(一九九一)、開山日像聖人の六百五十遠忌に、昭和四十三年(一九六八)の新本堂建立以来、剣道場として使用されていた旧本堂の解体がなされた時、この内陣部分だけが残され、塔正面、扉の付く部分が欠如していたのを、二メートルばかり増築する形で、塔に相応しい形に補修され、現在の形になった。
日泉は、この二重の塔を「開山堂」と名づけ、宮殿には、開山日像聖人自らが、その母のために刻まれたと伝えられる聖人若き日のお姿(複製)と御真骨、また、当山が、その西国最終霊場となった、行学院日朝聖人の御真骨を祀った。
そして平成十二年(二〇〇〇)になると、笠井山大仏(ビルマ仏像)の当山への遷座話が急拠浮上するに及び、この堂は、「開山堂」から「大仏殿釈迦堂」と称されることになる。
かくして計らずも、蓮昌寺に、「大仏(仏宝)」、「おおまんだら(法宝)」、「日蓮大聖人水鏡御霊像(僧宝)」という「三大三宝」が在すこととなった。
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